ITS 11 ブログ

豊田市のITSへの取り組みの実際

清水和夫

愛知県豊田市を本拠とするトヨタも今年の11月から実証実験を開始した。ところで愛知県は北海道を抜いて死亡率では最も危険な地域となった。この不名誉な事実はトヨタの関係者に大きなショックを与えている。そこで、事故のないクルマ社会の実現にむけた対策が急がれることになった。

今回豊田市で行われる実験はUTMS協会(社団法人新交通管理システム協会)が中心になって行っている。実際の作業は同協会の安全支援システム分科会の下部組織にあたる愛知県DSSS検討作業部会が担当した。

今回実証実験する具体的な内容は信号情報提供と規制情報提供だ。前者は信号機がある交差点での出会い頭の事故を防ぐもの。信号機からの情報を光ビーコンでクルマに送り、ドライバーが十分なブレーキ操作を行っていないと判断すると、カーナビで「音や図形」で知らせる。今回はモニターの50台に実験用車載器を搭載し三カ所の交差点で実験が行われる。

同じようなシステムを信号機のない交差点でも行っている。道路標識に従った規制情報をカーナビで喚起するのである。このような取り組みは、技術的にはもっと広範囲なところまで対応できる。例えば、朝夕の子供の通学路では、自動的にクルマの速度を規制することも可能であり、人とクルマの新しい秩序をITSによって構築することが可能だ。

UTMSはユニバーサル・トラフィック・マネージメント・システムの略であり、非営利団体として発足したUTMS協会は警察庁のITS研究会と理解できる。国土交通省との棲み分けは高速道路を同省が担当し、国道は警察庁が担当する仕組みだ。今回は市街地道路なので管轄は警察版ITSとなるわけだ。

ところで、豊田市はトヨタ自動車の好調さを受けて、人と物資の移動で賑わっている。急速に発展した豊田市にも大きな問題がのしかかる。昨年市町村合併の折に、山間部の地域が豊田市に組み込まれた。都市部と山間部という極端なクルマ社会を持ってしまった面積は二倍になっても人口は37万人から5万人しか増えていない。過疎化する山間部の交通インフラをどのように考えるべきなのか、豊田市はある意味で日本の縮図だ。

世界のトヨタ自動車の本拠地の交通事情を知るために、新型レクサスLS460で郊外まで足を伸ばしてみた。都市部から15分も走ると豊田市には豊かな自然があったことに気がつく。紅葉の季節は終わったものの、足助という地域では見事な紅葉が愉しめた。しかしこの場所に行くには片側1車線の三桁国道を北上する。途中で遭遇した右カーブ出口の信号機。手前に注意看板があったが、ご存じ日本は交通安全の看板と消費者金融の看板が乱雑するから本当に重要な看板は気がつかない。あわてて急ブレーキを踏むが、最新のLSの安全技術もこうした道路環境では意味がない。

都市部は無秩序に立てられた電信柱、信号機、のぼり旗。特に交差点では立て看板とのぼり旗の多さに圧倒される。交差点は安全確認して通過するところであるが多くの看板に気をとられていると信号機などを見落としてしまうのではないだろうか。ITSの取り組みの前に、安心して落ち着いて走れる道路環境(景観)を取り戻すことが先決だと思った。

制限速度 その2

西川淳

そんなもろもろの、建設的な考えや自分なり思い、行為への自己弁護、ご都合主義な共通認識を持ち出して、だから最高速度制限を上げて欲しい、というのもまた、大いなる誤謬だというしかない。

新たに建設される高速道路の制限速度を上げてしかるべきだという正当な理由と同じ数だけ、上げなくてもいいという理由があるはずだ。

つまり、それが、社会ルールの本質である。そう考えると、高速道路が似合わない(必要ないというわけじゃない)日本で、国産車の高速性能がままならぬ時代に、時速100キロを最上限にしたという過去の決断は、先見の明があった、と言うことだってできる。是非ではない。ましてや、高速道路の設計云々の話だけでもない。

放っておくとカオス。それを防ぐために、ある一定の制限をかける。緩い輪もあれば、厳しい輪もある。殺人や窃盗で捕まり厳罰に処されることの罪、罰、社会的制裁と、交通ルールを破ったものとではもちろん軽重の差はあるのだが、社会が決めたルールを破ったという事実に変わりはない。そして刑罰は、しょせん、見せしめである。そうやって、社会は成り立っている。

余談だが、罪を憎んで人を憎まず、というフレーズがある。これは、ルールや法の下のみせしめ社会を端的に表す、まるで潤滑油のような言葉だ。

わが子を殺された被害者には到底理解できない言葉であるし、それゆえ加害者とその家族親族に課せられる社会的制裁の強さは、人を憎まずの領域を越えている。しかし、軽微な速度違反はどうか。それが、1%の可能性だとしても、重大な事故に繋がるという認識のもとでルールとなっている一方で、捕まったほうが不運だと”赦す”社会もまた上手く機能しており、正に人を憎まずになっている。

ぎりぎりのところで、見せしめ社会が成立している。スピード違反も、そして死刑も、見せしめであるということに変わりはない。

「行政と自動車メーカーのとりくみ」

清水和夫

しかし、最近は自動車メーカーの協力ですばらしい実証実験が始まっている。神奈川県横浜市青葉区で行われたITSの先進的な実験は「スカイプロジェクト」と呼ばれるもので、日産自動車、NTTデータ、イッツコミニュケーションズ、トレンディ、東急セキュリティの五社連合で実証実験が行われた。ここでは児童に電子タグを持たせ、その信号を受信したクルマのドライバーに安全を喚起させることが可能だ。さらに見通しの効かない交差点などでは、クルマとクルマを通信させることも可能である。実証実験は2005年12月29日~2006年3月31日までの93日間で行われた。その内容はおおむね次のようなものであった。

1)ドライバー通知
専用の情報提供装置を搭載したクルマが住宅地を走行するとICタグを持つ児童が接近すると車内では音声で児童の接近を知らせる。

2)通報駆けつけ
ICタグにつけられた通報スイッチを押すと、警備員などにレスキューを要請

3)登下校などの身守り通知
ICタグを持った児童が町中に設置された見守りスポットを通過すると、保護者の携帯電話やパソコンメールに通過情報を知らせる

4)エリア検索
保護者がインターネットなどで、児童のいるエリアを検索できたり、当日の移動履歴を知ることができる

こうした実験を通じて利用者の声を聞いてみると意外な答えが返ってきた。多くのドライバーは「アラーム警報で周囲の子供の存在を知ることができ、安全意識を高めることができた」と好評だ。さらに「通報駆けつけ」と「登下校などの身守り通知」は特に有効であったという意見も多かった。今後システムの精度を向上させたり、利用エリアを拡大するなどの課題も明確になった。

重要なことは地域社会の中でこうした民間企業でも実証実験が自立的に行われたことだ。「地元のことは地元が解決する」という発想は合理的だ。道路環境や交通事故の実態は地域によって千差万別であるから、国全体で政策を進めるよりも地域社会で取り組むほうが効果的だと思われる。

食育、水育、クルマ育! その3

岩貞るみこ

交通問題に詳しい方と話をしているとき、面白いデータを教えていただきました。特に根拠のない個人的な数字だそうですが、彼によると、

「クルマ好きになるかどうかは、免許取得年齢に関係している」とのこと。

ほほう、それは? と尋ねてみると、大学一年生で免許を取得した方が、四年生で取得した人よりも、圧倒的にクルマ好きになっているんだそうな。なるほど。友人といっぱい遊ぶ時期である大学時代をクルマありで過ごすことによって、クルマを使った楽しさや面白さ、使い方を体得し、生活範囲や行動の基盤がそうしたものになるということなのかもしれません。逆にクルマなしで遊ぶコツを覚えてしまうと、別にクルマはなくっても、となるんでしょうね。それに、若いうちに恥をかいてでも現場で練習しておけば、いろんなことを覚えるはず。逆にある程度年齢を重ねたあとに免許をとっても、よほど気合が入らないと「うまく運転しよう」と練習する気にはならないでしょうし。

06年の交通事故による死者数は6352人。発表した警察庁ではその理由を取り締まり強化によるものと言っていますが、もちろん、ほかにクルマそのものの安全性の向上や、救急医療体制の整備なども挙げられます。そしてもうひとつ。保険業界の資料を見ていると、若い年齢のドライバーの事故が激減しているのがわかり、これも死者数減少の一因であると考えています。「オレの運転テクニックどうよ?」とバリバリに走りまくっちゃう男子は、イマドキの女子には受けないってことなんでしょうね。

つまり。
1)若い世代が無謀運転をすることが少なくなった。
2)体得させるものは、若いうちに教えた方が早くて確実。
3)若いうちに免許をとらせてクルマに乗せると、クルマ好きが増える。

ということからも、普通免許の取得年齢を引き下げてみるってのはどうでしょう? 自動二輪と同じように16歳。だって自動二輪が16歳というのが「中学卒業して働く人の足となるように」という理由もあるわけで、だとしたら寒冷地の中学卒業就労者を想像するに、そりゃバイクじゃ寒いでしょ、と思うんですけれど。

西日に注意

長沼要

冬の空って、本当に透き通っていて綺麗だと思う。首都高湾岸線をよく通る私は、最近の冬晴れの日には、綺麗に雪化粧された富士山が見られる機会に恵まれ、その美しさに感動する日もしばしば。さて、そんな冬晴れのある日、湾岸線下りを走行中、川崎の料金所を越えたあたりから流れが悪くなり、渋滞気味になった、時間は夕日がきれいな夕方。そう渋滞の原因は夕日!湾岸線の下り、川崎航路トンネルの出口にある看板「夕日に注意」(「西日」?だったかもしれません)が現実となっていた。
そう長くはない時間帯だけだろうが、ものすごい直射日光が目の前にあらわれ、サンバイザーは全く効かない角度。

ところで、最近はトンネルでライトをつけないクルマが本当に多い。

トンネル照明が明るいから?
自分からは見えているから?
メーター照明がライトに関係なくついているから?

理由はわからないが、とにかく点灯しないクルマが多い。点灯しているのはオートライトのクルマだけじゃないか、と感じるほど。個人的には走行車線/追い越し車線のマナーの悪さと同じくらいに改善すべき点だと思う。

Photo_6 さて、この西日とライトという二つの話は相関する。

西日で瞳孔が思いっきり閉じたドライバーの目には、前が西日以外ほとんど見えない。カメラで言うと露出オーバーしまくりで、本来露出を合わせなければならない前車などには合わず、よく見えない。ところが、ライトを点灯している前車は、そのライト部分だけは少し見える。この少し見えるか全く見えないかは大きな違いだ。

という事もあり、とにかく、トンネル内ではライトをつけてほしい。トンネル内でライト点灯の有無で、前車の認識するまでの時間はもの凄く変わる。リアビューミラーでの確認となる後方車両の有無はもっともっと変わる。特に、追い越し車線へ出ようと、ドアミラーで右車線後方確認をする際、ライトを付けてないクルマはホントに確認しにくい。そんな状況で、しかも想像を絶するスピードで迫ってきていたら、これは進路妨害というより、ライト非点灯の方にも多大な責任があると思う。

道交法上はどうなっているのか、調べてみた。夜間は当然として(第18条)、第19条に夜間以外でも点灯すべき条件に、トンネルや濃霧のような視界が悪い時に…とある。で、その悪い視界とは、高速道路や自動車専用道で視界が200m以下、その他の道路で50m以下とある。トンネルの出入り口は別として、おそらく内部はこの基準に入っているだろう。しかし、この基準でいくと、例えば一般道路でトンネン内の視界が50m確保されていればライトを付けなくてもよいことになる。これでいいのか?!これは絶対的なものではなくて相対的、というか動的に考えるべきだろう。先の瞳孔の性質、機能を考えても、晴天の日(少なくとも明るさという観点から視界は無限大に近い)に突然、視界50mの領域に突入したら、連続性がなくなり危険きわまりない。静的にしか捉えられていないこの基準は要改善点ではないかと思う。リアルワールドを考えるとトンネル内は一律灯火を義務づけるべきだと思うが、いかがだろうか。

死者数低減から事故そのものを減らす取り組みへ

清水和夫

「タレントの娘さんが登校中に小型トラックにはねられ死亡した」というニュースが舞い込んだとき、とても胸が苦しんだ。というのも、詳細を聞くといつ事故が起きてもおかしくない危険な場所であったからだ。海外ではスクールゾーンを自由にクルマで走らせることは絶対にありえない。社会全体が子供達の安全を見張っているからだ。こうした悲しい事故を防ぐにはどうすればいいのだろうか。

Photo_2 「もうクルマだけでは限界です。道路と交通システムを統合して考えなければ事故をこれ以上減らすことはできないのです」こう考えるのは日本の自動車メーカーのミスターセイフティ達だ。近年の自動車安全はエアバッグやGOAボディのような衝突安全から始まったが、その訳は政府がかかげた死者数低減を意識したものである。

2003年1月、小泉首相の年頭所見で『交通死者半減は、長年にわたる政府、地方自治体、地域の方々を挙げた努力の成果であります。政府としては、交通安全教育の推進を含め安全かつ円滑な道路交通環境の整備に全力を尽くします。』と述べ、この年に立案された方針では「10年以内に死者数を5千人以下とし、世界で一番安全な道路交通の実現を目指す」としている。

たしかに1990年初めは年間約1万人を超えていた死者数が最近は激減している。今年の統計はまだ集計されていないが、おそらく6000千人を下回る可能性が高い。その意味では死者数低減を特に配慮してきた乗員の保護性能は近年著しく向上し、政府が掲げた目標は先倒しで達成することが明らかとなっている。

一方で1980年頃から事故発生件数と負傷者数は激増している。最近では年間約100万件/100万人の事故と負傷者が存在する。こうした実情を考えると、もはや衝突安全だけでは対策が行えないことは明確だ。そこで政府や自動車メーカーではITSへの期待を寄せ、事故のないクルマ社会の実現を考えるようになった。とはいえ、その具体的な対策はなかなか見えてこない。道路や通信インフラを絡めて実施することになるので統合されたシステム作りは困難な作業だ。

制限速度 その1

西川淳

クルマ好きの論点で言うと、高速道路の100キロ制限なんてものは、もはや多くの人が守らない有名無実なルールとなっているし、クルマの性能向上(安全面も含め)を考えれば恐ろしく前時代的である、となりがちだ。

国産車の国際競争力を考えるうえでも、もう少し制限を高めてもいいという意見だってある。その他、経済効率、輸送効率、交通実環境など、さまざまな観点から、現状のルールが現実にそぐわないと指摘されることも多い。

流れに自然とのって走っていても、多くの場合ルールを逸脱してしまう。かといって、ルール厳守で走れば、たちまち身の危険が襲い掛かる。と思って、つい油断していると、捕まる。最悪、事故を引き起こす。

筆者もまた、速く走りたい人である。それはもう本能というべきもので、いつも取り締まりにびくびくしつつも、正直に言って、制限速度を守りきれる日などないと思う。守れる人になりたいと思うが、気が付くと、やぶっている。

無謀な速度で走ることなど決してないと自分では思っているが、所詮、そんなものは自己弁護にすぎない。ルールはルール。違反は違反。罰は罰。高速道路を、例えば130キロで走っていたら、個人的には速いとは思わないけれども、社会的に見れば制限速度を30キロも50キロも超える猛スピードであるには違いない。たとえシューマッハが乗っていようとも。

だから私はスピード違反で、何年に1度か捕まる。おまわりさんが、なぜか優しく”運転手さん、ちょっとスピード出てましたねえ”ぐらいの言い方で違反者(赤切符なら犯罪者?)に接する。そのたびに、少しアンラッキーだったと自己の不注意を呪いつつ、でも反省はする。免停にでもなれば、速度超過が引き起こすさまざまな害悪をビデオなどで知らされる。そのときは、大きな事故を起こさないですんだと、安堵する。けれども、二度と速度超過をしなかったか、と問われれば否である。そういう決意さえできていないと思う。弱いものだ。

食育、水育、クルマ育! その2

岩貞るみこ

横断歩道をわたろうとしている人を見かけたら、クルマは止まって渡らせてあげなければいけません。道路交通法で定められており、自動車教習所でもそう教えられます。ところが現実の世界で、そうした光景を見るのは極めて稀ですね。横断歩道をわたろうとしていても、クルマが「どこ見てんだよ!」という風情で爆走します。

一度なんて私、住宅街の小さな横断歩道をわたろうとする通学中の小学生の列をみかけ、「どうぞ」と止まってあげたら、後ろからきたタクシーにクラクションを浴びせられましたよ。タクシーですよ。運転のプロにですよ。降りてどついてやろうかと思いましたよ、あら、お下品だわ、おほほほ。余談ですが、そのタクシー会社は後部座席左側のシートベルトのバックルが出ないよう、ほぼ全車統一しているという情けなさです。

そんなこんなある日、取材で尋ねられました。

「どうしてそんなことになるんですか? 日本は教習時間が短すぎて教えきれないんでしょうか?」

答えは「否」ですよ。否。ノー。とんでもない。だって、ドイツだってアメリカだってイタリアだって、教習時間なんてすっごく少ない。教習所なんて施設があるのも日本くらいじゃないんですか? 詳しくは知らないけれど。んじゃ、なにが違うかといえば「社会の現実」です。

よく言うじゃないですか。新社会人は単に大学を卒業しただけで使い物にならない。社会でもまれてこそ、立派な仕事人に成長すると。あれと同じです。教習所を出たばかりのドライバーはほんとに卵から孵化したばかりのひよっこ。そしてリアルワールドでもまれて、よきドライバーに育つのです。ところが現実社会ときたらそんな新人ドライバーのよきお手本どころか、まあまあ、ひどい有様。

「横断歩道でわたる人をみかけたら止まる」と教習所で教わっても、誰一人として(私の体験からいくと98%の確率で)道を譲らない。となれば、若葉ちゃんたちは、なーんだ。じゃ、譲らなくっていいんだとなるでしょうよ。その繰り返しがいまの日本の現実です。「今の若いもんは」と、よくおじさんが嘆く光景を見かけますが、その若いもんをそう育てているのは、実は今の私たち「先輩」なわけですよ。

クルマ育で、子供のころからちゃんと交通マナーや、人を思いやる心や、運転技術を身につけて欲しいなと思いつつ、大人がそれを無視した行動していちゃダメですよね。クルマ育を受けなきゃいけないのは、実は今のオトナです。シートベルトをかけずに黒いクルマの後部座席に座っているアナタかもしれません。

食育、水育、クルマ育! その1

岩貞るみこ

年末年始のだらーんとした間、ラジオ党の私、愛するラジオにどっぷりはまって幸せに過ごしておりました。と、ちょっと面白い情報が。私の耳が反応したのはスピーカーから流れ出る「水育」という言葉です。

「食育」という言葉はご存知ですよね。食を通じて教育をしていくというもの。イタリアから始まった、スローフード。ファストフードのように家族がばらばらに勝手に食べるのではなく、家で、いろんな話をしながらゆっくりいただこうじゃないか。まあ、きっかけはファストフードの大手であるアメリカの某社のイタリア進出に恐れをなした食料関係者が、イタリアの生産物を上手に消費してもらおうってところからだったみたいですが。でも、そんな食品流通や消費のことも含めて、「食」を通じていろいろ考えようというのが「食育」です。

で、「水育」。これも字のごとく、水を通じていろんなことを考え、学ぼうってことなんですね。例えば。

問1> 地球上にある水が10Lのポリタンクひとつ分だとすると、人が自由に使える水はどのくらいでしょう?

答え>スポイト2滴!

2滴ですよ、2滴。地球は水の星と思って油断していてはいけません。現実はこんなもんなんですね。

問2> 1キロのお米をつくるのに必要な水は、どのくらいでしょう。

答え>3000L

あ、実はちょっとうろ覚えです。ながらラジオでメモとっていなかったもんで。でも、3000倍もの水が必要なんて、うひゃーですね。水、大切にしなくっちゃ……。と、このように水のことを知って環境とか安全とか、いろいろ勉強していきましょうね、ってのが「水育」です。

そこで私、考えました。「クルマ育」! クルマを通じて、安全とか、環境とか。そしてもちろん、相手を思いやる優しさとかマナーとか。クルマのハンドルを握るのは18歳からですが、やはりそれからクルマ社会についてあれこれ考えるのでは遅いと思うのです。もっと若い世代に、それこそ親から離れて歩行者としてひとりで歩けるようになる小学生とか、自転車に乗り始めるころとか、そういう世代からぜひ「クルマ育」をお願いしたいと思うんですが、どうでしょう。

~人間+ロボット=∞~ Vol.01

西村直人

自宅近くの区営スポーツジムに通い始めて半年。歩いて5分の場所にあることもあり、週に2日は汗を流しています。なんでセッセと通っているのか? べつにワタクシ、メタボリックなカラダじゃないんですが、このところ運転中に身体的な疲労を感じることが多いんです。そこで思い出したのが、かつて取材をさせて頂いたプロライダーの岡田忠之選手(鈴鹿8時間耐久レースに数多く出場)のお言葉。

「身体的な疲労は筋力が落ちている証拠。日々のトレーニングが肝心です!」。バイクに限らずクルマの運転も体が資本。そんなわけで今一度、襟を正す意味を含め精進しております……。

 さて、肝心のトレーニング。ジムトレーナーによると運転に必要な筋力は多数あるようですが、なかでも重要なのが腹筋(?)。てっきり背筋とばかり思っていましたが、その反対側の筋肉だったんですね。プロドライバーの方々に腰痛持ちが多いのは、この腹筋が弱ってきているからなんだそうです。余談ですが、バイクのライディングを左右するのは内転筋(腿の内側の筋肉)という部分。しっかりバイクを押さえ込むために大切な筋肉なんですね。

ちなみに私のトレーニングメニューは、上半身、とくに腹筋と背筋をバランスよく鍛えるマシンを低負荷で30分。加えて心肺機能を高めるための有酸素運動(自転車マシン)を30分、合計1時間を1セットとして組み立てています。

 このところその効果が出始めたのか、長距離の移動がとてもラクになってきました。クルマはどんどん進化していますが、やはりそれを司る人間はいつまでたってもアナログ回線なんだと再認識しました。疲れが溜まれば「認知・判断・動作」が遅れ、結果として安全な運転を妨げられてしまいます。軽自動車にもプリクラッシュセーフティシステムが導入される時代ですが、やはり基本は人間(=ドライバー)であることに変わりはありません。

 ただし、前人未踏の高齢化社会に足を踏み入れている人類は、自らの身体的な能力だけで安全を確保することができるのでしょうか? よほど身体的に優れた一部の方々を除けば、加齢による衰えをコントロールするのは至難といえるでしょう。そこで私が提唱したいのが「人間+ロボットの協調運転」です。(つづく)

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