ITS 11 ブログ

高速道路の珍事件

清水和夫

 早いものでクルマを運転するようになって34年という月日が経った。18才から
モータースポーツを始めた関係で、高速道路はいつも利用してきた。住んでいる
頭の上に首都高速があるから、いつも高速を利用している。その延べ利用距離は
数えられないが、平均年間5万キロとして34倍すると、、なんと170万キロ!。こ
の距離は地球を40周し、月と地球を二往復したことになる。それでも太陽までは
100分の一の距離しか移動していない。これだけ高速道路を利用していると、様
々なことに出会った。思い出に残る事件、出来事を回顧してみよう。

 友人が夜間東北道路を走っていると、前を走るトラックの荷台の幌が飛んでき
た。留め方が悪かったのだろう。友人は大きなマントのような幌が空を飛んでい
るのをフロントウインドウから眺めていた。あっと思った瞬間、その幌は自分の
クルマを覆い被せ、一瞬のうちに視界を遮断されてしまった。運悪く急ブレーキ
をかけたが側道の壁にぶつかりクルマは大破した。彼は本当に心臓が止まる思い
をしたという。
 次の話は私の体験談。全日本ラリーに参加している時、お金がないからキャリ
アカーに自分が乗り込み、クルマを広島まで運んだことがあった。もちろん今考
えると違法だと思うが。そこで、仲間とジャンケンで二段目か一段目かの場所を
決める。負けると二段目の先頭。もっとも揺れるし、怖い光景を見ることにな
る。私は負けて二段目の先頭に乗った。トラックのロールや横Gが遅れてやって
くるから、その怖さは例えようがない。
 一番ビビッタのは、トンネルだった。トラックの運転手さんよりも高い位置か
ら見ていると、トンネルの天井にぶつかる感じなのだ。目を瞑ってトンネルに進
入すると、今度は横の天井と壁が気になる。丸い形状をしているから、あまり端
によるとぶつかる感じなのだ。目を瞑ると、ロールが気になるし、目を開けてい
ると恐怖の光景が飛び込んでくる。
 広島までの1000Kmのドライブはとても過酷だった。

日曜日の高速道路はノー・トラックデー

岩貞るみこ

ドイツのアウトバーンは無料ですが、イタリアもフランスも高速道路は有料です。イタリアは面白くて、所得の低い南の方より北の方が同じ距離を走っても高い。なるほどねーと思いつつも、北イタリアの都市ボローニャに住む私の友人たちに言わせると不公平だ! ということになるようで。そんな友人たちに日本の高速料金を言うと、「泥棒じゃん!(じゃん、と言ったかどうかは不明……言ってないってば!)」。そうですよね、泥棒と言われてもな金額ですよねえ。

ただ、高速道路のつくりを見ていくとちょっと違う。日本の高速道路は土盛りをして高いところを走っているのに対し、イタリアのは平地が多い。日本の高速道路は、土盛りした下にトンネル状のものがいくつもあって、割と自由に行き来できるのに対し、イタリアは大きなオーバーパスを設けるのでぐるーっと遠回りしないといけないこと多し。日本の高速道路会社の人に聞くと、その土地に住む人の利便性も考えた結果の作り方、とのことなんだそうで。そりゃ建設費が高くかかるわな。

ついでに道路管理もずいぶんと違う。ヨーロッパの高速道路はドイツのアウトバーンの出来がいいからどこもいいと誤解されがちだけれど、イタリアのひどいことといったら。標識はケチって小さいし少ないし(あと何キロなんてそんなご丁寧なものはないに等しい)、サービスエリアの案内はセンターライン代わりの生垣に小さいのがちょろっと出ていることが多いし(F1ドライバーの動体視力でやっとでしょ、それじゃ)、夜は電灯がなくて真っ暗だし、いつだったかはアスファルトの路面工事直後を走ったら、飛び石でクルマがぼこぼこになりましたですよ。うえーん。

ちょっと高すぎだけれど日本の高速道路も捨てたもんじゃないかもと、イタリアを走ると思います。ただ、ヨーロッパの多くは日曜日は大型トラック通行禁止。これで乗用車に楽しく安全にドライブを楽しんでもらおうってわけ。この考え方は気に入っていますね。トラックがいなければ渋滞も減るわけだし、物流ベースの速度設定も見直せるし。

日曜日はノー・トラックデー。乗用車オンリーで、制限速度時速140キロ、なんてどうでしょね?

アウトバーンの安全を支えているもの

岡崎五朗

 前回に引き続き、今回もアウトバーン関連の話題を。日本とドイツでは交通量も違うし、道の構造も違う。だからアウトバーンの速度無制限を日本の高速道路に持ち込むわけにはいかないのでは? と思う人もいると思う。もちろんその通り。環境が違えば出せる速度も変わってくる。ドイツの地形は日本でいうと北海道に近く、急勾配や見通しの悪いカーブは少ない。渋滞が増えたとはいえ、交通量だって日本と比べたらまだまだ少ない。だから僕は、日本も高速道路を速度無制限にすべきだなどと主張するつもりは毛頭ない。実際、アウトバーンも速度無制限区間は減り、130km/h、場所によっては100km/h制限のところもある。
 でも、だからといって最高で100km/hはいくらなんでも遅すぎる。クルマの性能が上がり、実際に追い越し車線は120km/h程度で流れている。レーシングドライバーでもない普通のドライバーがごく普通に120km/hプラスαで走っているという現実。この現実こそが、最高速度100km/hという規制が実態に合っていないことの証明であり、最高速度引き上げに向けた議論を始めるべき最大の理由だと思うのだ。
 もちろん、走行速度の上昇はリスクを孕んでいる。事故が起きる確率はさほど高くならないだろうと個人的には思っているが、事故が起きたときのダメージは間違いなく大きくなる。しかし、だから100km/hのままでいいというのはあまりに後ろ向きな考え方であり、重要なのはどうしたら安全に速度を引き上げられるのかを考えることだと思う。
 ここでお手本となるのがアウトバーンだ。速度無制限というとある種無法地帯にも思えるが、実は正反対。アウトバーンには厳しい掟がある。遅いクルマは後方に気を配り、速いクルマに進路を譲らなくてはならないという基本的なルールと、それを忠実に守るドライバーが、他に例のない速度無制限という環境下での安全を担保しているのである。
 実際、走行車線から追い越し車線にフラフラと侵入してきて急ブレーキ!なんてケースは滅多にないし、追い越し車線をダラダラと走り続けるようなドライバーもいない。もしそれをやったら、日本以上に猛烈なパッシングを浴びせられるのがオチである。東西ドイツ統合直後は、アウトバーンの掟を知らない旧東独地域のドライバーが危ない運転をしていたが、いまではかなり落ち着いてきた。逆に言えば、速度無制限だからこそ、高速道路を安全かつ有効に利用するためのルールの大切さを、ドイツ人はどこの国民よりも深く理解しているのである。
 いまどきのクルマなら、100km/hを大きく超える速度で走っても必要以上の緊張を強いられたり、運転に高度な技術を要求されることはない。必要なのはモラルでありルールである。ドイツ人のように高度なモラルで高速移動を手にするか、緊張感のないダラダラした状態のまま低速走行に甘んじるか。僕なら迷わず前者を選ぶ。

タクシーで高速道路

長沼要

先日タクシーで高速道路を走る機会が続いた。個人的にはあまり機会がないことも手伝って、新鮮で記憶に残った点がいくつかあるので、メモしてみた。

・    タクシーといっても色々。
・    乗客の安全はどこ?
・    タクシーに期待するもの。

ひとつめは、ちょうど数日置かずに立て続けに乗った2台が両極端だったこと。さてその2台とは・・・。

一台は「これぞ!タクシー!」といった日本を代表するタクシー仕様車(A)で、もう一台はこれまた、「これぞ!個人(タクシー)!」といったクルマ(B)。

A:かなりのスピード感、恐怖感すら覚える。しかし、メーターをみると、せいぜい90km/h。シートにホールド性という言葉はなく、車線変更でも揺すられる。運転手はイッパイイッパイ、ETCもなく、かわいそう。
B:うーむ快適だ。適度なホールド感とヘッドレストもちゃんとしているシート。6気筒の快音とほどよいGで加速し流れにのっている。ETCでノンストップ。運転手はドライブを楽しんでいる感じ。

おもしろいのはこの2台、メーカーも同じで車名に同じ言葉が入るということ。同じ「車名」でこれほど違ってよいのか、という疑問が浮かぶほど。ものすごく古い基本設計のサスペンションと非力なエンジン。カーメーカーにはタクシー専用車イコール最小原価、という発想を変えて頂き、タクシーでしか乗れないクルマ、積極的にタクシーになりたくなるクルマを作ってほしいと願う。

そして2番目。とにかくAのシートベルトが使えない!!白いシートカバーの中にアンカーが隠れていてどうしようもない。みると、運転手さんもベルトをしているようにみえるが、アンカーに刺さっていない。いったいこの状態で、運転手さんはどうやって、乗客の安全を守ってくれるのだろうか?もう二度と乗りたくない。もっとも、一度も使われた形跡がない感じだったので、乗る方も要因であることは事実だ。運転手に告げると、形式的に「すいませんねえ」の一言だけ。

最後に3番目。タクシーに期待するものは人それぞれだろうが、「安全」「快適」「安さ」は誰もが思うことだと思う。しかし、タクシー会社の現状は、「安さ」のために「快適」「安全」がないがしろにされていると感じる。個人も法人も利益を追求するのは同じなのに、なぜ、これほど差が開くのだろうか。個人にも出来ることで、法人の方が個人より非効率になるようであっては、そもそも法人である必要がない。飛行機、電車、といった他の交通機関では規模が大きすぎて個人は考えられないのだが、タクシーはもう法人である必要がない時代なのかもしれない。実務経験などの兼ね合いでおそらく即個人営業はできないのだろうが、そのような仕組みを見直す時期なのかもしれないと感じた。

なんたって、例えば恵比寿~横浜で約1万5千円を超える。これは、シャトル切符を使って飛行機でいく大阪よりも高いのだ。そして得られる満足度を考えたら、積極的に車種を選びたくなりますよね。もっとも、この辺の話は、長距離タクシーを常用する人たちにとっては、「そんなの常識」なのでしょうが・・・。

基本が大事なのは一緒

島下泰久

 前回書いた首都高の合流の怖さは、もちろんすべてドライバーひとりひとりのモラルやマナーが原因というわけではない。たとえば構造やルールの問題も、触れないわけにはいかない要素だ。
 たとえば池尻入口の場合、流れが速い側の本線右側の車線に合流していかなければならないのが、そもそもの問題なのである。こういう合流、首都高には多いが、一体なぜそんな構造の出入口が多いのかと言えば、要するに首都高の場合、実は左側車線も右側車線も同じ『走行車線』で、右側が追越車線だとは定められていないからだ。となれば、入口や出口がどちら側にあろうと、そりゃ確かにおかしくはない。
 交通量も少なく速度も低かっただろうモータリゼーション黎明期には、それでも問題無かったのかもしれない。しかし、今もそれで良いとは、とても思えない。その右側車線への合流という話もそうだし、右側にある出口から出たいがために、スローペースで右側をべったり走り続ける車両が居るのも、やはり主に構造に起因する危険要因だ。それを避けようと速いペースのクルマが左側車線に移り、ついでに更に前を行くクルマをも、左側からぶち抜いて行く…首都高ではこれもよくある光景である。
 この左側追越しは、首都高だけの話ではない。遅いクルマが、追越車線とハッキリ定義されている右側車線に居座り、後ろに長い列が続く、あるいはそれを左側の走行車線から抜いていく輩が現れる…こんなのも日本の高速道路では日常的だ。これは構造というよりルールの問題。本当はこれ、通行区分違反のはずなのに、無自覚な人は本当に多いし、あまり取締りの対象にもなっていない。いや、モラルやマナーの話でもあるだろう。後ろにクルマがつくと、逆に居座ってやろうとする輩は少なくないのだ。
 何だかそういうことになってしまっている日本の高速道路事情。危ないというのもそうだし、何より非常に美しくない。駅で切符を買うにも、ヘンに割り込んだりせず順番をしっかり守る日本人だ。道路でだけモラルやマナーが消え去ってしまうというのはなぜ? そう考えると、そこには構造やルールの問題も大きいのではないか?
 それを律するのにITSは確かに大いに役立ちそうな技術だが、しかしそれと同時に、道路の構造だったり、そもそも道路にクルマをどうやって流すのかという哲学的な部分についても、やはり今一度、再構築していくべき必要があるように思う。ダメなシャシーのクルマを電子制御でごまかしたってダメなように、やはり基本はベースの性能なのだ

運転は退屈な行為となるのだろうか?

河口まなぶ

先日ひさびさに東名高速の御殿場ICより先を走った。我々の仕事は箱根がほとんどなので、御殿場から先はタマに走るくらいだ。
 東名高速は御殿場までは3車線だが、その先はご存じのように2車線。案の定、御殿場を過ぎると追い越し車線のペースが鈍ってきた。そしてアッという間に数珠繋ぎ…だが、追い越し車線のペースは80km/h。あまりにおかしいと思っていると…。
 僕の前を走るクルマが次々と走行車線に移っていく。そしてしばらくすると僕の前に、1台の営業車が出現した。しかもこの営業車の前はガラガラ状態。そう、渋滞の原因は追い越し車線を80km/hで走行する営業車だった。
 しばらく我慢して後ろを走る。しかしこの営業車、一向に車線変更する気配なし。しびれをきらして一度パッシングするも反応なし。そうこうしているうちに僕の後ろのクルマが何度もパッシングを繰り返し、営業車はようやくそれに気付いて車線を変えた。
 走行車線に移った営業車を追い抜いていく時、ドライバーをチラッと見た。「どうせ携帯で話でも…」と思いながら。しかし20代だろう営業車のドライバーは携帯で話をしているわけではなく、ただぼんやりと前を見つめていたのだった。
僕はこの瞬間、ものすごく悲しくなった。おそらく彼にとっては運転自体が死ぬほど退屈なのだろう。そして自分が追い越し車線を80km/hで走ることで起こる回りへの影響など、全く意識にはないのだろうと思えたからだ。
そこに、とても虚しい想いを覚えた。
おそらく今後ITSが発達すれば、こうした場面を見ることもなくなるのだろうと思える。が、同時にITSの発達によって、こういう人はさらに運転というものに無関心になるのではないか…という風にも思えるのである。
 より安全に、より快適に、より便利に…というのは多くの人の願いである一方で、始めから無関心な人を増長させる可能性も秘めているわけだ。
 僕は少なくとも、自動車を運転している時、退屈だという風に思ったことは一度もないし、むしろ運転が大好きだからこそ、今この仕事をしているとすらいえる。
 しかし、そうではない人も確実にいるし、最近では自動車も白物化が進んでいるだけに、自動車や運転=退屈と感じている人は増えているだろう。
 そう考えると、より安全に、より快適に、より便利に…という話の前に、自動車という乗り物や運転という行為にもっと意識が持てるような方策も必要なように思える。
 できれば今後自動車や運転というものに、楽しいとか気持ちよいとかいう意識が生まれ、それが多くの人の間で共通の認知となることを、僕は密かに願っている。

気分よく、気持ちよく、走れること。

西川淳

ドライバーにとって、それが一等幸せで、結果的に安全に繋がるかも、を芯において、道路や環境の問題を考えたいと思っていた。中央道・飯田付近の魔のカーブで起きた悲惨な多重衝突死亡事故。あのような悲劇を呼ぶ道路環境の真逆を考えることをテーマにしたいと思う反面、常につきまとう疑問がある。

ドライバーは果たして、性善か、性悪か。

福岡県の飲酒運転による悲惨な「事件」以来、続発する飲酒運転事故や、いわゆる逃げ得の問題などが連日、マスコミ報道を賑わせている。

飲酒運転の厳罰化以降、飲酒に起因する死亡事故は激減したとはいえ、それでも平均すると1日に2人が亡くなっている(もちろん、事故はそれ以上に多い)という現状で、ようやく白日のもとにさらされたかというのが正直な思いだ。

そんな折、一冊の本の、電子版無料公開の知らせがメールで届いた。

題名は、『殺人ドライバー』。同年代の知人である、沼澤章氏が、もう3年ほど前にまとめあげたものだ。死亡事故を起こした加害者の実像に迫ったルポタージュであり、題名同様、ショッキングな内容に満ちている。

沼澤氏の言葉を借りると、交通事故は最早『事故』ではなく『事件』だ、ということになる。

死亡事故を起こす多くのドライバーは過去に何らかの、しかも同種(飲酒なら飲酒という風に)の違反を起こした者が多く(再犯性の高さ)、これを事実上、交通行政が野放しにしてきたという実態。あまつさえ、彼らがクルマを買って乗る自由を再三にわたって与えてしまうという、社会システムの構造、環境。そういった事実を考えれば、事故などではなく殺人と同じく事件である、というのが著者の主張だ。

著者はまた、クルマ依存社会からの解放にまで、考察に及んでいる。クルマを使った日常生活の利便性をこれ以上追及することに、果たしてそれだけの意味があるのだろう?クルマ好きの彼にとって、それはつらい結論ではあった。

欧米との比較や、電子版の最新情報も追加されているので、詳細をぜひご一読願いたい(http://www.y-p-o.net)が、「殺人ドライバー」を読んだ私は、とにかく悩むこととなった。

冒頭のように、ドライバーの視点からしか物事を見れなかった人間にとって、ドライバー性善説は基本の基本。ところが、考えれば考えるほど、そんなのんきなことを言っている場合では、どうやらなさそうだ。

運転不適格者に対する、あらゆる面に渡った厳罰化。罪の納得性強化。それは、もちろん必要であろう。しかし、物事はそう単純な話ではない。厳罰を与えることは事態進行の歯止めにこそなれ、問題解決には至らないのではないか。

そこには凶悪化する未成年者犯罪などと同根の、根本的な病理、今の日本の社会の闇がはびこっている気がしてならないからだ。大東亜戦争後の高度経済成長の最中に、忘れ去られた、何か。

ゆきあたるのは、最小限の社会である家族の問題と、その中でおこわなれるべき教育のあり方だろうか。

もっと知られるべきは人間の心理メカニズムかもしれない。繰り返される飲酒運転という犯罪は、最早、麻薬や快楽殺人と同じではないだろうか。またしても捕まった某有名経済学者のセーラー服趣味と、人間性という観点で変わらぬのではないか。

ふとわが身を振り返る。飲酒とは無縁でも、私は本当に、「殺人ドライバー」ではないと言い切れるだろうか?

いつでもどこでも制限速度を守ってクルマをドライブしているのか?
人をクルマで殺すのに100キロもいらないことを常に考えているか?
根拠のない前提にたって、身勝手にドライブすることはないのか?
スピードが好きではないか?

殺人ドライバーは、常に自分の背中にいるとは言えまいか?

それでも、気持ちよく運転すること、させてもらうことは、必要か?

ファン・トゥ・ドライブは、古い価値観になってしまったのだろうか。

運転し移動する自由を、はたして社会がどこまで許容すればいいのか、してくれるのか。クルマ文化が進んでいるという欧米の、自動車事故による死者数および割合が、日本より圧倒的に多いという事実も、もう一度かみしめてみる必要がありそうだ。

気持ちよく運転すること。そんなのまるで必要ない、となったとき、今の交通社会は、どう変化するのだろう?自動車は、どうなるのだろう?共存ははたして可能か?
ならば、どのような形で?

そして、クルマ好きはどこへいけばいい?

飲酒運転はNO!その2

清水和夫

 最近、毎日のように飲酒運転事故の問題が話題になっている。ここにきて飲酒
運転による事故が増えたのかどうかは定かでないが、メディアが飲酒運転の事実
を白日の下にさらした感がある。幸いのことに私は一滴のお酒が飲めないから、
飲酒運転なんて考えられない。もし飲んで運転したら、自宅の駐車場にも車庫入
れができないだろう。だから飲酒運転は睡眠薬を飲んでステアリングを握るよう
なものだと思っている。その状態で事故を起こせば、立派な殺人事件なのだ。
 ところで飲酒事故の報道で気になったことがある。自動車メーカーなどがお酒
を飲んだドライバーが運転できないようにする機械が紹介されたことだ。飲酒運
転問題に頭を抱えるスウェーデンは、世界一厳しい罰則を与えているが、それで
も寒い時期にはお酒を飲んで運転するドライバーが少なくない。ボルボはアル
コールを検出する機械を開発しているし、政府もこうした機械を義務化するのに
乗り気だ。これも一つの対処療法かもしれないが、何でも機械に頼る姿勢はいた
だけない。

 お酒を飲まない人の立場で言えることをここで告白してみよう。

1)酔っぱらって自分が分からなくなるお酒を、なんでみんな沢山飲むのか?
2)人格が変わるのであれば麻薬や覚醒剤とどこが違うのか?
3)飲んで他人に迷惑をかけることは、立派な犯罪。
4)ゴルフ場でお酒を飲むことも理解できない。
5)なんで、高速道路のサービスエリアにお酒の缶が転がっているのか?
6)なんで銀座のホステスさんがクルマで通勤しているのか?

 結局、いままでお酒に社会が甘かったのではないか。いまさら飲酒運転を厳し
くするなんて私的にはおかしい限りだ。飲酒運転は殺人罪と同じであると言いた
い。さて、冒頭の「何でも機械に任せよう」とする対策では、本質的な問題の解
決にならない。無謀な運転、モラルの低さなどの悪質ドライバーは社会が絶対に
許さないという「厳しい大人の目」が必要ではないでしょうか。

飲酒運転はNO!

スーザン史子

 飲酒運転の危険性について、最近は、毎日のようにニュースになっていますよね。べつに、今始まったことじゃないと思うんですが、これまで、軽く受け止められてきた事故があまりにも多いということなのでしょう。
飲酒運転の罰則規定が厳しくなってからというもの、ドライバーは、かなり気持ちを引き締めているとは思うんですけどね~、そうじゃない方も世の中にはたくさんいらっしゃるってわけですね。
 ワタシの場合、都内からそれほど遠くない場所に住んでいるので、昨日も夜1時過ぎに電車で帰宅、もし、それに乗り遅れても、深夜バスがあったり、タクシーもあったりと、交通機関には不便をしていない生活を送っているもので、飲酒運転ってありえないんですよ。飲み会がある日は、絶対にクルマでは行かないし、クルマに乗るとわかっていれば、飲みません。えーっと、だいたい飲んでる日が多いので、都内にクルマでいけません(笑)。
 でも、ちょっとごはんを食べにいくのでもクルマがないと不便な場所で、しかも、深夜遅くまで電車やバスが走っていない場所では、行動が制限されてキツイですよね。子供でもないのに、「10時には歯磨いて寝ろっ!!」と強制されているようなもんです。
 でもね、でもね、確かにキツイ、それはわかるんですっ!! でも、飲んだら迷わず運転代行でしょう! 「行きはヨイヨイ、帰りはコワイ~」てな童謡がありますけど、あれは飲酒運転の歌でしたっけね? 地方の居酒屋には補助金とかだして、運転代行は無料にできたりしないんですかねー。人の命がかかってるんだから、それぐらいやらなきゃ! 
 ワイドショーのうけうりですが、海外では、飲酒運転などの前科があるドライバーのクルマにはナンバープレートの色を変えて、誰もがすぐにわかるというような対策をとっているようですね。ドライバーの意思に任せられない以上、このぐらいやらないとダメですよ。飲酒状態では、まともな判断ができないんですから。
そのうち、こんなことがエスカレートしていくと、責任のなすりあいになって、誰かをチクったりするようになるんですよ。「あいつは大丈夫だったのに、なんで?」とかね。そんな世の中にはしたくないじゃないですか~!
余談ですけど、うちの近所のゴミ捨て場に敷き布団が捨てられてたんです。
その上に、張り紙がしてあって「粗大ゴミは区に連絡してから出してください・・云々」
 最後に「罰が当たりますように」と赤字で!
 世知辛いですよね~。身近な人様の不幸を願っている人がいるなんて~。
 でも、ちゃんと自己管理できない人が増えていくと、そんな世の中になっていくんじゃないかな~。
 ま、そんなことをたまには危惧するワタシですが、電車の中で大声で携帯でしゃべっている人を見たり、ヘッドホンから大音量がもれている人を見ると、ものすごーくイヤ~な顔して、にらみつけたりしちゃいます。性格悪いんで・・・。ハハハ。
とにかく、飲酒運転だけは絶対NOですよっ!! 

アウトバーン--速度無制限の高速道路

岡崎五朗

 速度無制限を謳うドイツの高速道路アウトバーンを初めて走ったのは20年ほど前。ある男性雑誌が企画した「アウトバーンを走る」というページの取材に"運転手"として参加したときのことだ。当時僕はまだ大学生だったのだが、試乗車を都内で借り出し箱根まで運び、取材終了後にまた都内まで戻すというアルバイトをやっていたこともあって「ヤツなら大丈夫だろう」と信用してもらえたのだと思う。旅費は出すからバイト代はタダね、という提案だったが、1秒後には「行きます!」と答えていた。
 取材をして原稿を書くのは同行した編集者(運転免許証をもっていなかった)で、僕に与えられた仕事はといえば、ただひたすらアウトバーンを走ることだけだった。けれど僕は、この旅から多くのカルチャーショックを受けた。と同時に、多くのことを考えさせられたのだった。時速150キロ程度で走っていても、その脇を時速200キロオーバーのクルマたちがビュンッ!と走り抜けていく。この光景自体は事前に仕入れていた知識どおりだったからさほど驚かなかった。けれども、自ら追い越し車線に入ってオーバー200キロで走りはじめた途端、日本の高速道路との違いに愕然とした。まったく怖くないのである。そう、アウトバーンのオーバー200キロ走行は日常そのものだったのだ。
 基本的にアウトバーンの通行料金は無料だ。厳密に言えば税金によって運営されているからまったくの"タダ"ではないのだが、日本のように走るたびに目の飛び出るような高額な通行料金を徴収されることはない。にもかかわらず、高速道路の最大の目的である「高速移動を実現してくれるサービス」の度合いは日本の高速道路の2倍程度に達する。ハイウェイナビゲータ(http://www.hinavi.jp/)に「東京-名古屋」と入力すると「距離325.5km、予測所要時間4時間04分、料金7100円」と表示される。もしこれがアウトバーンだったら、所要時間は2時間弱、料金は0円だ。
 世界でもっとも高い通行料金を徴収しておきながら、高速道路の最大の存在理由である高速移動性についてはお寒いかぎり。悲しいかな、これが日本の高速道路の実情なのだ。

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